子どものしつけ?親のしつけ?
少し前ですが、野球の応援歌で「お前が打たねば誰が打つ〜」のお前呼ばわりを問題視したり
アンパンマンが暴力で解決するのはよくない〜みたいな話が盛り上がっていましたね。
その理由は“子どもの教育上よくないから”らしいです。
初めてそのネタを耳にしたときは
今更何を言ってるんだ?他にも教育上よくないことは山ほどあるだろ。と思うとともに
へぇそんなことまで言う窮屈な世の中になったんだなぁ。と妙な怖さを感じました。
対立意見としては
「ワタクシは子供のころからアンマンパンを見てますが暴力的ではないです」、
「そんなことで子どもに良くない影響が出るならそれは親のしつけの問題だ」という容認派も。
いま時点ではなんとなく後者に軍配が上がってるっぽいんですが、容認派に対しては
「じゃあR-15とかR-18指定映画は何のために規制しているんですか?」と聞きたくもなります。
精神的に発展途中の子供に過激なものを見せるのは良くない。という理由だったと思いますが、それも親がしつけできるなら見せてもいいの?
親のしつけで解決できるなら競輪競馬パチンコなどのギャンブルも容認するの?と思ったりもします。
ちょっと極端な例でしたね。
両派に対して否定的なことを言ってしまいましたが、実はわたし自身は
それについて持論はないんです。というか、子どものしつけに一律の正解があるのかわからないから肯定も否定もできないんです。
人を殴ったり傷付けたりしてはいけない。
人の迷惑になるようなことをしてはいけない。
と一通りのことは自分の子供に教えてきたつもりですが、しつけのために子供に手を上げたこともありました。
自分では愛の鞭だと思ってましたが、今考えると子どもには伝わってないのかな。と反省しています。
わたし自身も小さい頃に親や先生に叩かれたことはありましたが、この年になっても「なにも叩く必要はなかったのでは」と思います。今でもそう思うってことは結局身に染みてなかったんですね。
少なくともこれまで叩かれた先生からは愛情を感じていませんし、体罰=暴力だったと思います。
スクールウォーズの山下真司さんのように愛情たっぷりな泣き虫先生ならどうなんだろう。体罰=愛だと感じるのかな。
あの時叩きながら叱ってくれたわたしの親は、心の中で泣いてたのかなぁ。
なんて、あの当時の親の年齢になった自分が今頃になって思い返したりします。
そういう意味では、子どもの教育上というよりも親自身が成長するために
こういった問題が話題が上がるのは自分自身を振り返る機会でもあったのかな。と思ったりもします。
うん。久しぶりにスクールウォーズ見たくなりましたよ。
あの名台詞を叫びたいですね。
俺はいまからお前たちを殴る!!
あっ!いま「お前」って言っちゃた〜。堪忍え